
小学校3年生の時にブラジルから日本へ戻った私は、叔父の影響もあって長嶋さんのファンになった。
ちょどV9時代の最後で、東京にいれば巨人ファンになるしかない様な状態。
既に4番は王さんに譲っていたが、長嶋さんのオーラは子供心にも偉大に感じられた。
当時「プロ野球スナック」と言うお菓子のオマケに付いてくるカードを集めていたが、最後は16分割された長嶋さんで、これを揃えていた友人は羨望の眼差しを集めていた。
しかしその後すぐに「わが巨人軍は永久に不滅です」と言う名セリフを残し引退。
多くの大人たちがショックを受けているのを見て、長嶋さんの偉大さを改めて思い知った。
その後巨人の監督になった長嶋さんはいきなり最下位と言う屈辱を味わうが、翌年はリーグ優勝し、メイク・ミラクルなど、プロ野球ファンを楽しませてくれた。
私も小学生の時は空き地で草野球もやった。
その後はサッカーやバスケをやるようになったのだが、テレビで中継があるのは野球。
なので、しばらくは巨人を応援していたが、やはりアメリカ生活になるとそうもいかない。
巨人が優勝した時だけ、雑誌やグッズなどを日本の友人に送ってもらっていたが、突然長嶋さんと直接お会いする機会がやってきた。
ハワイには、毎年暮れにプロ野球の「名球会」がやってきて、皆でゴルフなどして、それが日本でお正月のテレビ番組になっていた。
1999年の暮れに「日本プロ野球名球会チャリティーゴルフ」の撮影があり、私はアシスタント・コーディネーターとして仕事をする事になった。
そしてこの時長嶋さんを見ることが出来た。
今の大谷翔平と同様、常に多くの関係者や報道陣を従え、周りには多くのカメラマンがその一挙手一投足を狙っていると言う、常人なら耐えられないような状況がずっと続いているのを見て、改めてすごい人なんだと感じた。
そして翌年の2000年にも仕事が回ってきて、この時は名球会主催のパーティーがあり、TBS関係者として私も出席することが出来た。
アロハシャツに着替えて名球会のパーティーinハレクラニに参上。
なんと乾杯の音頭が長嶋さんだった。
いまだに忘れられない、最高の乾杯だった。
王さんや、カネやん、子供の頃のスーパースターが勢ぞろい。
名球会では秋山・駒田両選手が新人で、当時のヤクルト監督若松氏や日ハム監督大島氏など、凄いメンバーだった。
翌日はゴルフ場での撮影で、何度も長嶋さんを見かけた。
この年は「筋肉番付」の撮影も行われ、ここでは長嶋さんに直接お水を渡すことが出来て、手が震えた。
そしてこの「筋肉番付」の放送では、長嶋さんの後ろに私がちょっと見切れていた。
(どこかにビデオがあると思うので探したい)
そして2年後に、また長嶋さんと再会することが出来た。
やはり名球会の撮影で「筋肉番付」が「体育王国」と言う名前に代わって、ハワイ大学のレインボースタジアムでの撮影。
王さん張本さんがいなかったものの、金田、稲尾、柴田、若松、山本浩二、衣笠、矢沢、東尾、北別府、駒田など、やはり超豪華なメンバーだった。
私はジャイアンツのキャップをかぶって仕事をしていた。
バイト学生達に動きを指示したり、私も走り回っていたが、やっぱり気になるのは長嶋さん。
長嶋さんが競技に出ていない時にはチャンスを伺っていたのだが、いつもインタビューを受けていたり、取材されていたりで、ミスターに近づく事はなかなか出来なかった。
実はサインが欲しかった。
直射日光を避けるために長嶋さんが実況席のあるテントの影に行ったとき、ちょうど周りに人がいなくなり、チャンス!とばかりにさっと近づいて行った。
手にはアルバイトさんの名札を作った時に使ったペンとジャイアンツの帽子を用意。
そして「長島さん!サインを頂いても宜しいですか?」と声をかけると、「ああいいよぉ」と帽子とペンを受け取り、何気なく帽子を見て「おお、巨人のだね」と言ってYGのマークを触ってくれた。
「昔から大ファンです!」と言うと、目を細めてつばの裏に「長嶋茂雄」と書いてくれた。
スタッフの一人として働いている中で勧められる事ではないのだが、実はハワイのスタッフの中には、サインや写真をお願いしている人は見かけた事があり、自分の仕事をちゃんとしながら長島さんの隙を見つける事が大変なのである。
結局暑さの為か、長嶋さんは途中でホテルに戻ってしまい、どうやらその時長嶋さんからサインをもらえたのは私だけだったらしい。

これは私の宝物である。
黄色い名札は番組で実際に使用したもの。
私の家に来たことのある方なら、これが今も冷蔵庫に貼ってあるのを覚えているかもしれない。
その後は名球会の仕事も無くなり、長嶋さんとは会えないままだった。
長嶋さんの愛弟子だった松井はアメリカに来てから応援したが、長嶋さんのオーラを超える事は無かった。
脳梗塞で倒れられた時は、もうダメかと思ったが、驚異の回復力で20年頑張った。
3月にドジャーズが日本で試合をした時に、大谷翔平と一緒に撮った写真の時が、最後の公の場だったそうだ。
同じオーラをまとった大谷翔平が、今度は世界中を魅了しているが、人間臭さで言えば長嶋さんの方が上。
多くの名言を残し、人々に夢と感動を与えた。
私の家でトイレにも行った人なら、長嶋さんのポスターが貼ってあるのも覚えているかもしれない。

これからも私は毎日長嶋さんの胴上げを見て、一日を始めるだろう。
長嶋さん、天国で安らかにお眠りください。R.I.P.




