1月26日のヘリコプター事故でコービ・ブライアントが亡くなった。
高卒のルーキーでNBAに入ってくるだけでも鳴り物入りだったが、果敢に攻めるプレー姿勢はファンの心をすぐに掴んだ。
シャキール・オニールの右腕として連続優勝したが、その後はコービのチームとして3度優勝。
私にとってLAレイカースは、実に中学校以来のファン。
当時はNBAの試合は生で見ることなど出来ず、「バスケットボールマガジン」のグラビアで、当時レイカースのキャプテンだったカリーム・アブドル・ジャバ―のダンクシュートの写真を見て憧れていたものだ。
70〜80年代のNBAはLAレイカースとボストン・セルティックスが東西の両巨頭で、レイカースにはジャバーの他にマジック・ジョンソンがいて、ショータイム・バスケットと呼ばれた華々しい時代があった。
高校卒業後、私がLAに行く事を決断した理由の一つはレイカースがいるからだった。
丁度その頃はシカゴ・ブルズにマイケル・ジョーダンが入り、NBAの勢力図が変わっていった時代でもあった。
日本でプロ野球を見るように、普通にテレビでレイカースのゲームが見れると言う、夢のような環境だったが、実際にはテレビを見るどころか、そんな暇は無い生活が続いた。
しばらく低迷していたレイカースに、シャキール・オニールが加入してから、また面白くなってきた。
そして私がハワイに移ってからコービが入ってきた。
ハワイに来てからも、テレビもビデオも持っていなかった時代があったが、試合中継の画質が良くなってきて、こちらも大きなテレビやスピーカーを仕入れると、テレビ観戦も質が上がり、家の中で一人でも大きな声で応援するようになった。
勿論コービのスーパープレイに興奮してである。
2005年にレイカースがハワイにキャンプにやってきた時は、マノアのハワイ大スタン・シェリフ・センターに見に行って、初めての生コービに感激した。
2007年のキャンプとプレシーズンゲームでは、スタン・シェリフ・センターのローワーデッキで、かなり近いコービにまた感激。
最後は2015年だった。
既にこの年で最後と言う事だったので、生でプレーを見るのはこれで見納めになった。
そしてこのシーズンを最後に本当にコービがリタイアしてしまうと、チームもすっかり活気を失った。
私も痛々しい試合を見るのが嫌で、数年バスケットを見なかったのだ。
コービは娘のバスケットボールのコーチをしたり、本を書いたり、第2の人生を楽しんでいる様だった。
そして一昨年に優勝請負人とも呼ばれる、NBAのキング、レブロン・ジェームスがレイカースに入ってくると言うニュースを聞いて、再びゲームを追うようになった。
昨年はレブロンの活躍はあったが、若いチームがまとまらずに、プレーオフにも行けなかったが、今年はスーパースターのアンソニー・デービスが加わり、またコーチやメンバーの入れ替えもあり、開幕以来の好調を続けていて、優勝候補間違いなし。
本拠地ステープル・センターのコートサイドには、コービも時々応援に来ていて、今回のヘリコプター事故は、まさに青天の霹靂だった。
既にリタイアしているので、レイカースの戦力が変わる事は無いのだが、この20年で5度もファンに優勝をプレゼントしてくれたレジェンドの事を、やはり愛していたのだろう。
事故当日から、レイカースの専門チャンネルでは追悼番組が始まった。
フェイスブックでも「レイカーネーション」と呼ばれる、ファンの集まるグループでは、追悼の記事ばかり。
シャキール・オニールがボロボロ泣きながら、番組に出ている様子を見て、私も涙が止まらなかった。
火曜日に予定されていた試合は延期になり、金曜のゲームが追悼試合となった。
試合前も、ハーフタイムも、これでもかと言うくらい、哀悼ムードを盛り上げ、また涙が止まらない。
試合前にレブロンも涙を流していたが、その後すぐの試合ではやはり思い切り力が出せず、残念ながら惜敗した。
翌日のゲームは、昨日の憂さを晴らすかのような素晴らしい試合で、大量得点差をつけて快勝した。
今年はコービの為にも、必ず優勝して欲しい。
Go Lakers!!
R.I.P. KOBE
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2020年02月03日
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