中学1年でバスケットボールを始めた時は、ただ背が高くなりたいから、と言うのが理由だった。
背は伸びず、バスケもなかなか上達しなかったが、新宿のアドホック・ビルにあったバスケットボールの専門店なんかにチームメイトと行くと、「月刊バスケットボール」なんかの雑誌が売っていて、センターフォルドにはNBAのポスターやピンナップが載っていた。
そこで見た、ゴールリングの上から手を突っ込んでいる、ダンクシュートの写真を見て、驚愕した。
アメリカにはこんな事が出来る奴がいるんだ!と言う感動をくれたのが、当時ロスアンゼルス・レイカースのキャプテンだった、カリーム・アブドル・ジャバーだった。
以来、彼は私にとっての神様。
勿論NBAでは珍しいものでは無かったが、今の様にテレビでNBAの試合なんてやってなかった。
高校では最終的に188センチにまで成長した私も、試合でダンクシュートを決めた事はなかった。
80年代のレイカースはカリームだけではなく、マジック・ジョンソン、ジェームス・ウォージーなど、スター選手が多く、”ショータイム”と呼ばれた、華々しいプレーをしていたが、試合を見るどころか結果をすぐに知る事も出来ない時代で、いつか世界最高のバスケを見てみたいという思いは強かった。
その後20歳でアメリカに渡る事になったのは、行先がレイカースがいるLAだったというのも大きかった。
しかし、1984年にマイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズとのゲームを、フォーラムに見に行ったのが最初で最後になった。
夜の仕事で中継が見れず、ビデオなど持っていない時代だったので、ニュースや新聞でしか試合結果が判らない、もどかしい事も多かった。
1988年までは強かったレイカースは、その後停滞期に入る。
マイケル・ジョーダンの時代。
彼はレイカースには来なかったが、バスケの神様のプレーとして、見ていて面白かった。
その後シャキール・オニールとコービ・ブライアントが入って、3連覇。
私はハワイに引っ越していたが、近い西海岸のチームとして、LAのスポーツチャンネルが見れる様になり、この頃からは、ほぼ全ての試合は観てきた。
高校を出てすぐにNBAに入ったコービは、多くの感動をくれた。
見ていると、やりたくなるので、10年くらい前には、SNSで見つけた若い日本人留学生のグループに入って、カパフルのコートで夜、何度かプレイしたこともあったけど、交代も無くていつも最初に息切れ。
その後しばらく腰も痛くなるので、最近は自分ではやらないけど、見るのはまだまだ好き。
レイカースは何度かトレーニング・キャンプでハワイに来てるし、オリンピック前のNBAドリーム・チームのキャンプなんかでも来てて、その度に練習試合を見に行ってるが、コービ・ブライアントがリタイアして、レイカースが低迷し、プレイオフにも出れなくなって、実はしばらく興味を失っていた。
それが、NBA界のキングと呼ばれる、レブロン・ジェームスが加入する事になり、また急に楽しくなった。
だが加入したばかりの昨年は、怪我で本人自身のプロ生活で初めてプレイオフに出ない年を過ごした。
ファンとしても、キングが来たからと言って、大分老いているのではないかと言う不安はあった。
しかし今年はさらに若いスタープレーヤーの、アンソニー・デービスが入って、黄金のコンビとなった。
昨年秋に始まった今シーズンは、最初から快調に飛ばして、優勝候補ナンバーワンの状態だった。
1月26日、そこに入ったのが、コービ・ブライアントが娘と一緒に事故死と言う悲報だった。
「コービの為に」を合言葉に、チームが一丸となって、優勝を誓った後の3月10日の試合を最後に、今度はコロナ禍によって、シーズンがシャットダウン。
レイカー・ファンにとっては悪夢のような状態だった。
その時は、プレイオフが始まる5月には、コロナも収まっているだろうなんて言う、楽観的な考えもあったが、徐々にそれは無理だと思うようになり、絶望的になっていた時に、バブル計画が出た。
完全隔離されたエリアを作って、外界からのウィルスを中に入れない状態で、全てのチームを集めて、シーズンを再開させると言うもの。
実際には使用されたディズニー・リゾートの職員だけで6500人になるそうで、各チームの関係者や裏方など含めるとかなりの人数が、3カ月も外と遮断された生活を送ってきた。
8試合のレギュラーシーズンのあと、プレイオフに入り、負けたチームはバブルから出て家族とも友達とも自由に会えるが、勝ち続ければ精神的にもさらに辛い状態が続く事になる。
東西に広いアメリカでは、全国放送のスポーツ中継は、ハワイでは早い時間が多く、当然仕事があれば録画した物を帰宅後に見ていたが、今年は時間だけはあるので、プレイオフは全て生中継で応援できたのは最高だった。
最終戦は、勝ちが決まった最後の2分くらいから涙が出てきた。
応援したチームが優勝しただけでなく、普段なら次のシーズンが始まる時期まで続けた、歴史上最長のNBAシーズンで、コービの為に戦ってきたという想いもあって、泣けたのだ。
ホームコート・アドヴァンテージなども無く、例年とは全く違った雰囲気の中で戦い続けたレイカースには、選手一人一人にご苦労様と言いたくなる
それにしても最近は嬉し泣きばかりしている。
痛いとか辛いでは涙が出ないのだが、優しさや嬉しさに、涙腺が弱くなってる56歳。
Go Lakers!!
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