日本でも裁判員制が導入されて、国民が裁判に参加するようになったが、私にアメリカの陪審員の最初の呼び出しが来たのは、グリーンカードを取ってすぐの1984年だった。
最初は一体何の手紙が来たのかもわからず、友人に聞いてみると、説明してくれたのだが、彼はアメリカ生まれなのに一度も呼び出された事が無いと言う。
それが永住権を取ったすぐの移民を呼び出すとは・・・。
勿論日常会話もままならない英語では陪審員どころではないと、その旨手紙に書いて送ってお終いだった。
2度目は10年後の30歳頃の時、そして3度目が40歳の時で、何れも、裁判に耐えられる英語力ではないと言う手紙を書いて終わりだった。
なんか10年置きに来てるなと思ったが、予想通り50歳にしてまたジューラーの呼び出しが来た。
ところが今回は手紙でのエクスキューズが出来ないようになっていた。
電話をかけて確かめたが、本物の人に繋がるまですごく大変で、指定された日に実際に裁判所に行って、出来ない理由を裁判官に直接話さなければならないと言う。
さらに、何時に裁判所に行ったらイイのかがわかるのが、前日の夜。
自分で電話かインターネットを使って、手紙に書いてある番号を入力すると、わかる仕組み。
早朝かもしれないし、夕方かもしれないと言うので、この日は仕事もバイトも入れずわざわざ空けた。
そして月曜の夜に電話を掛けると、「この裁判は解決済みです」と言う事で、放免された。
どんな裁判だったのかわからないが、解決して何より。
ちょっと気が抜けた。
この所ほとんど休みが無かったので、急にオフになった事は嬉しいが、夜は先日お客さんに頂いた焼酎を飲み、翌日は昼近くまで爆睡してしまった。
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