2011年07月17日

BON DANCE 2011

家のどの部屋にいても聞こえた「マツケン・サンバ」がすぐ隣の「真宗ミッション」から大音響で流れ始めたので、何も手に付かなくなり行ってきた。

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既に櫓を囲む踊り手の輪は3重になっていた。

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フード・セクションは年々少しずつ充実しているように思う。

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ローカル・プライスの「お祭り」プライス。

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「次の曲には扇子や団扇を用意してください。無ければ手を使ってください。」と英語で説明が流れた後、日本語で「肉弾三銃士」と言うアナウンスがあった。

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皆さんサッと団扇などを出し、櫓の上のライブを待つ。

ここでハワイの「ボン・ダンス」の基本的なスタイルだが、「花笠音頭」、「東京音頭」などのスタンダードナンバー、さらには「マツケン・サンバ」も含むレコードを流す第一部と、お囃子と太鼓が櫓に上がるライブバージョンが二部。そしてお寺のカルチャースクールで教えてる物のお披露目が3部で、これを繰り返す。

第二部はハワイ・オリジナルの物が多いとされるが、移民当時の日本人が作った日本語の曲は、もの悲しい物もある。

で、実際にこれを歌っているのは日系の2世か3世のおじいちゃんとおばあちゃんで、踊っているのはもう5世だか6世だかわからない日系人とローカルなどで、日本語は基本的にわからない。

この「肉弾三銃士」は戦争の歌で、こんなの今のアメリカで歌って良いの?と思ってしまう内容。

「帝國万歳叫びつつぅ〜」とか「爆弾抱えてぇ〜」とか、まあ聞いてください。






昨年は日本にいて見れなったが、一昨年までは空手の試技がお披露目されていた。

今年は太鼓教室が始まり、当然これが披露された。

練習を始めた当初は何の太鼓かわからなかったが、今日は指笛が入り、沖縄太鼓だと言うのがよくわかった。

櫓や提灯には「福島」と書いてあり、上の歌では「大和魂・九州男児ぃ〜」と歌ったりだったが、ここからは沖縄色が強くなり、祭り太鼓はヒートアップして行った。

散々練習は聞かされたので、少年たちの衣装が嬉しかった。

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今年は「ボン・キング」ことダズ・トグチがいなかったし、有名な人は気が付かなかった。

何度かサッとシャワーの降るコンディションだったが、11時まで盛り上がっていた。



ちなみに「肉弾三銃士」と言うのを調べると、こういうのが見つかった。

戦争体験

やっぱりこれを今歌うのは凄い。



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posted by じゅにーK at 19:43| ホノルル ☔| Comment(4) | ハワイ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする